発達障害傾向ですが、「営業」できました。

毎日ひとにキレられていた私が、「人間」らしいコミュニケーションを身に着け、「営業職」として働けるようになるまでの話と、試行錯誤の記録。

問題と対策4)適切な発言ができない(1)~人をキレさせる天才でした~

では、いよいよ今回から、実際の困りごとに私がどう対処したか、書いていきます。

 

■問題点:何を言ってもキレられる

この見出しのとおりですが、私は本当に、口を開くたび人を不愉快にさせていました。

 

子供の頃の話でも触れましたが、私は幼少時から「思ったことをすぐ口にしてしまう」という悪いクセがありました。しかも、その発言が状況に鑑みて適切かどうかは、相手の反応を見るまで判断できないという、困ったものでした。
 
具体的には、就職が決まったと報告してくれた友人に、「あなたが就職できるとは思わなかった」と言ったせいで絶交されたり、それまで普通に接していた相手から突然「出て行け!二度と顔も見たくない」とキレられたり。他にも、数えだしたらキリがありません。
 
後者の例では、どうも私の言動が感情を逆なでし、相手はずっと我慢していたらしいのですが、当時は露ほども知りませんでした。そのため、私の実感としては「昨日まで何もなかったのに、いきなりキレられた」という、まさに青天の霹靂でした。
 
もちろん、相手は私のどこがまずかったか、教えてはくれません。なぜなら、相手にとっては「自分を不愉快にした人間(=私)は敵だ」ということだけが真実だからです。私に悪気があったかどうかや、私が突然の絶交宣言に戸惑い悲しんでいることなど、眼中にはないのです。
 
ただ、もし私が「ひとからどう思われても構わない。自分の個性を押し通すわ!」というタイプだったなら、この問題は「問題」にならなかったと思います。むしろ、「私を理解しない彼らが悪い」と開き直ったかも知れません。
 
しかし、残念ながら、私は周囲と協調して生きていきたいと願っていました。そのため、拒絶されることは本当に辛く、同様のことが起こる度に自己肯定感(ありのままの自分でいいのだ、と思える気持ち)は低下していきました。
 

■「状況を考えろ」ができていたら苦労しなかった

因みに、前の記事で触れた本「シーン別解決ブック」p.94では、対策として「状況を考えて発言することが大切」とあります。しかし、残念ながら私はそれでは上手くいきませんでした。
 
なぜなら、私の場合、一般的な理屈(「人を傷付ける言動はいけない」など)は理解できても、その「理屈」と「現在」とが上手く結びつかないからです。
 
こう言うと、ある人から「え?理屈って、普通自然に思い出すでしょ?あなたは理屈を理解していないだけなんじゃないの?」と言われたことがあります。でも、それは少し違います。
 
なかなか、この感覚を理解して頂くのは、難しいかもしれません。例えば、具体的には下記のようなことが起こります。
 
・前提:「人に嫌な思いをさせるべからず」という理屈は理解している
・状況:誰かに招待されたパーティで、想像したより出席者が少なかった
・行動:「あれ、思ったより人少ないよね」と言ってしまう
・結果:傍にいた友人から「そんなこと言っちゃダメでしょ」とたしなめられ、やっと「今言ったことは、主催者が聞いたら嫌な気分になるよな。出席者は多いほうがいいもんな」と理解する
 
つまり、私はその場で発言の適不適を考えることが、どうしてもできないのです。「状況を考えて発言すべき」という理屈は理解できても、その理屈が「ちょっと待って!」とその場で私を抑止してくれることは、ないのです。
 

■未経験の出来事に対応できない

 
これは、踏み込んで言うなら、「"初めて"の場面への対応力が極めて弱い」ということだと思います。
 
少なくとも1度経験したことなら、対応はできるのです。例えば、「そんなこと言っちゃダメ!」と叱られたことは、次回から同じ間違いを回避できます。Windowsのユーザー辞書に、新規の単語を追加するイメージです。
 
ところが、今までにない状況・出来事に対しては、どう対応すべきかという「回答」が、自分の「辞書」に用意されていないのです。用意されていないことは、考えることすら思いもよりません。全くの白紙です。
 
 しかも、人々の中で生活する限り、自分の置かれた状況は刻一刻変化し、対応すべき状況のバリエーションは無限に増えていきます。一対一対応しようとすると、気の遠くなるような作業です。
 
それでも、私は「とにかく出来ることからやろう」と、対策に乗り出しました。
 
 

問題と対策3)「敵意」を遠ざけるために、何ができるか?

さて、ゴールとアプローチが決まったところで、次のステップは短期目標の設定でした。
 

■短期目標=私に安心感を持ってもらう

 
「人間らしい自然な振る舞い」が最終ゴールではありましたが、元々ぎこちない人間がいきなりそれを目指すのは無理があります。そのため、私はまず目先の大きな問題からクリアしようと考えました。
 
その問題とは、周囲の「敵意」でした。
 
それまでのコミュニケーションを振り返ると、周囲の人達が私を「普通の感覚が理解できない、おかしな人」と考えているのは明らかでした。つまり、周囲とのトラブルやこれまでの言動から、私は彼らの仲間(暗黙の常識を共有する人達)ではないと見なされ、孤立していたのです。
 
目を合わせてもらえない。眉間にしわを寄せられる。無表情。声のトーンが低い。私に関係する話に、入れてもらえない。これらはすべて、「敵意」「仲間はずれ」のサインでした。
 
 私には、この状況を打開し、信頼を取り戻す必要がありました。その具体的な方法を考えたプロセスとは、下記のようなものでした。
 
・いま、彼らにとって私は「敵」。でも、それは自然なことだ。 
・そもそも人間は、自己防衛の本能で、自分と異質なものを排除しようとする。
・彼らと言動パターンの異なる私は、異質と見られて仕方がない。
・ならば、「私はあなたの敵ではない」と全身で表現したらどうか?
・きっと敵意は徐々に薄れるはずだ。
・そして敵意が消えた時、相手は私に安心感を持つだろう。
・まずは、そこを目指そう。
 
こうして、「安心感」を持ってもらうための試行錯誤が、始まりました。
 
 

■試行錯誤のお手本~周囲の人~

 

挑戦するにあたって、私にはお手本が必要でした。社会スキルを見て盗むためです。

 

前の記事にも書きましたが、何より1番は「周囲の人」でした。大抵の人は、幼少時から経験を積み重ね、社会人になる頃には「上下関係」「配慮」などのスキルを身に着けています。(同様に、「適当にあしらう」「上手く言い逃れる」などもですが。すごい芸当だと思います)

 

私の勤めていた会社には30人以上のスタッフがおり、つまり同じだけの社会スキルのバリエーションを見ることができました。

 

もちろん性別・年齢の差もあり、真似られるものは限られます。それでも、多様な人達のいる環境は、有り難いものでした。仮に自分と同年代の同性を手本とする場合も、彼女が50代男性と接するときと、同年代の女性に接する場合とではコミュニケーションの取り方が違います。対応のバリエーションも同時に学べる点は、貴重でした。

 

■参考にした本

 

また、本も参考にしました。

 

思えば、発達障害の傾向に気付くずっと前から、「何か上手く行かない」と思ったらビジネス書に答えを求めていました。1年に100冊以上読んだ時もあります。貪るように読んでは、書いてあることを真面目に実行していたのを思い出します。

 

今後、記事の中でいくつか紹介するかも知れませんが、ここではダイレクトに発達障害について書いた本を取り上げます。

 

下記の書籍は、私が知能検査を受ける少し前に読んだ本です。特に社会・家庭で起こりがちな問題に焦点を当て、その対処法を紹介しており、助けられる部分がありました。当事者の家族や友人にとっても、対処の参考になるのではと思います。

 

この本を読んだうえで自分なりの対策を構築していったので、今後の記事で紹介する内容と、一部重複するかも知れません。関連する部分については、都度言及しようと思います。

  

 

 

問題と対策2)「人間らしい自然な振る舞い」を身に着けるためのアプローチとは?

前の記事で見たとおり、私は人間関係のトラブルがきっかけで、「自分のコミュニケーション方法を改善しなければ」という危機感を抱きました。そして、知能検査を受けた結果(下記記事)、知能発達に問題が発覚し、それを踏まえた対策を講じることにしました。 

■私の特徴~空気が読めない、指示がないと動けない、でも経験・学習には強い~

対策を立てるにあたって私が参照したのは、クリニックから頂いた「傾向と対策」のまとめシートでした。これは、下位検査と呼ばれる様々なテスト(言葉の意味やパズルなど)の個別結果から、得意・不得意を評価したものです。
 
要約すると、下記のような内容でした。
 
  • 言語的な能力は突出して高い(=語彙が豊富。言語を介した理解力が高い)
  • 経験学習の積み重ねにより、1つのことに習熟していく能力は高い
  • 目から得た情報の処理は平均より低い(=空気が読めない。臨機応変な対応が苦手)
  • 集中力が高すぎて、他のことが疎かになりやすい(→ケアレスミスに繋がる)
  • 細かな指示を与えられると正確・迅速に処理できるが、そうでないと極端に遅い
 
これを見たとき、私は「やっぱり、そうだったのか・・・」と思いました。言語的な能力の高さについては、自覚はありませんでしたが、そう言えば子供の頃からよく作文を褒められていました。幼少時から本に親しみ、知らず知らず語彙や表現を身に着けたのだと思います。
 
ただ、それより私にとって重要なのは、「空気が読めない」などのマイナスの部分でした。これを克服しないと、「周囲の信頼を得ながら仕事をして、生計を立てる」という社会人として当然の生活が、私には送れそうにないのです。
 

■どうしたら人間らしくなれるのか?→人間らしい「振る舞い」を身に着けよう!

とは言え、「克服」と一口に言っても、そう簡単ではありません。まとめシートには、私はもともと空気が読めないが、経験学習によりある程度対応できている、とありました。つまり、治療でいきなり「空気の読める人」になれるわけではなく、空気が読めないという本質を抱えたまま、それをカバーするための学習を積まねばならないということです。
 
本質そのものを、変えることはできない。これは、誰かの言葉ですが、ネコがイヌになれないのと同じことです(この表現は分かりやすいので、お借りします)。それでも、何とかしてイヌらしくなりたい。そう思ったとき、私は「じゃあ本物に極めて近い着ぐるみを作り上げよう」と考えました。つまり、本質ではなく、「振る舞い」を本物に似せればよいのです。
 
しかも、その振る舞いは「伝わる」ものでないといけません。なぜなら、人は人のことを、外側から見ているからです。内側に入って心を読んだりできません。例えば、AさんがBさんを「気遣いができるな」と思ったなら、それはBさんが「気遣っていますよ」とAさんに伝わるよう振る舞っているからなのです。もし不愛想な顔で、本心では気遣っていたとしても、残念ながら伝わりません。
 
そのため、私はコミュニケーションの上手な方から、「人間として自然な、気持ちが伝わる振る舞い」を学ぼうと考えました。
 

■「雰囲気で」「直観で」が理解できない私→徹底的に理詰めで行こう。

 
そこで、「じゃあどうやって学ぼうか」という、アプローチの問題が出てきます。しかし、ここで致命的になるのが、私は「見て学ぶ」ことができない、ということです。
 
先ほどのネコ・イヌの譬えになりますが、ネコの私がイヌ先輩に「どうしたらイヌらしく振る舞えますか?」と聞いたなら、「"ワン!"と鳴きたきゃ、口を開けて声を出せばいい。理屈なんかないよ」と言われるでしょう。でも、そういった「理屈は要らない。見て学べ」というやり方は、到底なぞることができません。それは、目から入った情報を、私はうまく処理できないからです。
 
一方、視覚情報の処理がうまい人は、相手の表情や場の雰囲気を無意識に計算し、当意即妙な対応を行えます。無意識なので、頭で考える必要もありません。従って、その思考・行動プロセスを言語的に説明できるかと言うと、必ずしもそうではありません。(「常識で考えればわかるでしょ!」と言われる場合が、これです)
 
つまり、他の方にアドバイスを仰ぐにしても、その人の言動を学ぶ(コピーする)にしても、それを自分なりに因数分解し、再統合し、さらに自分のキャラにふさわしい形へブラッシュアップする必要がありました。そして、「経験学習の積み重ねに強い」という自分の特徴を武器に、日々の全てを分析とそれに基づく試行錯誤に捧げようと決心したのです。
 
 

問題と対策1) 「人間関係」ができないと、仕事でどう困るか?

そろそろ、私が実際に直面した「問題」と、それを打開するために編み出した「対策」とを紹介していきます。それに先立って、ここでは私がひとと同じようなコミュニケーションができないために苦労した「人間関係」が、仕事にどのような影響を与えていたかを書きたいと思います。
 

■仕事上のトラブル~言葉の行き違い、言動のまずさ~

私が本腰を入れて「対策」に乗り出したのは、今から2年ほど前のことです。このきっかけは、先ほども触れましたが、営業職として働くなかで人間関係のトラブルを起こしたことです。この結果、周囲から協力が得られなくなり、精神・体調不調に陥りました。
 
ことの発端は、私の言葉の使い方がまずかったせいで、同じチームの先輩を「見下している」と誤解されてしまったことです。顧客に対し、先輩のことを間違った敬語で紹介してしまったのです。それに憤慨した先輩は、以後私に冷たく対応されるようになりました。もともと私の仕事は、先輩の協力がないと回らなかったのですが、この事件がきっかけで何も依頼できなくなり、私は仕事を抱え込むことになりました。
 
もし、先輩と日ごろのコミュニケーションがうまくいっていれば、言葉の間違いは謝れば許して頂けたかも知れません。ただ、私はそういった関係を築くことができていませんでした。また、先輩は私の学歴(大学院卒※)をご存じだったため、「言葉の使い方を知らないはすがない。わざとしているに違いない」と思ったそうです。本当に知らなかったんです、と言っても、そういった固定観念を解くのは容易ではありません。
 
しかも悪いことに、同時期に同じようなトラブルが続きました。私の度重なるケアレスミスを心配した他の 先輩が、注意をして下さったのですが、私の言動が不適切だったため、反省の気持ちが全く伝わらなかったのです。そのため、「もうあなたは信用できない」と、それ以降目も合わさず、質問にも答えて頂けず、協力を得られない状況となってしまいました。
 
こんな風に、他の営業担当がチームでうまく仕事を回していた一方、私は人間関係につまずいた結果チームから疎外され、孤立していったのです。
 

■「人間関係」ができないと、営業の仕事でどう困るか?

さて、こんな風に大失敗を犯した私ですが、それまで仕事上での人間関係の重要さを理解していませんでした。それでは、そもそも人間関係は実際にどんな重要性を持っているのでしょうか。多くの人はわざわざ考えなくても直観的に分かるかと思いますが、私の場合、問題にぶつかって初めてかみ砕いて考え、理解することができました。
 
どの仕事でも、程度の差はあれ「人間関係」は必要なものです。まず、何かを作るには、たいてい誰かの協力が必要です。そしてそれを買ってもらうには、自分の作ったものをプレゼンする力、相手のニーズを探る力、自分を売り込む力が必要です。しかも、継続して買ってもらうには、相手を繋ぎとめるスキルも要ります。モノでもサービスでも、同じことです。これは、就活で自分を売り込む場合にも、言えることですよね。
 
それでも職種によっては、人間関係が苦手でも、個人の技術の高さでカバーできる場合もあるでしょう。ただ、営業という仕事は、自分が経験しての印象を言うならば、あらゆる難局を人間関係によって切り抜けていかねばならない、「人間関係がすべて」の仕事です。
 

■「人間関係」ができない→仕事が取れない、回らない→追い詰められる

まず、顧客との関係を良好に保たねばなりません。嫌いな人からモノを買ってくれるほど、お客さんは優しくありません。苦手な相手にも表面上はうまく付き合い、時には私生活を削って対応する必要すらあります。
 
しかも、人間関係は社内でも致命的に重要です。社外への窓口として、上司・先輩・後輩・他部署との連携を取らねばなりません。自分が取ってきた仕事の事務処理や、特別処理(価格・仕様など)の決裁を依頼するには、相手と良好な関係が不可欠なのです。
 
もし、そんな中で顧客に嫌われてしまったらどうなるか。誰かに頼みたい仕事を「あなたが嫌いだから、断る」と言われたら、どうなるか。答えは簡単です。
 
「注文が入らない」「仕事が回らない」そして「売り上げが上がらない」。
 
すると、当然ノルマは達成できず、上司からの評価も下がります。さらには、ひとに仕事を頼めないために残業が増え、睡眠時間も減り、精神・体調面に影響が出ます。実際、そうなってしまったのが、当時の私です。
 
もともと人間関係が得意で、たまたま特定の相手と反りが合わずトラブルになったのなら、他の人の協力を得るなどしてすぐに挽回できるでしょう。でも、私のようそもそも人間関係の作り方を知らない場合、そんな芸当はかないません。
 
営業にとっては、「人間関係がすべて」。
誰かが言っていたのを聞いたことはありましたが、その意味を理解したのは
上のような状況に陥ってからでした。
 
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※ちなみに、当たり前ですが、大学院卒だからといって、世の中のことをすべて熟知しているわけではありません。一般常識の怪しい人だって当然いますし、明らかに私と同じ傾向が見受けられる人もいます。常識をわきまえた人も、もちろんいますが・・・従って、院卒の人に出会ったら、「特定の領域の学問に極めて高い興味があり、それを修める能力があった人」くらいに考えてもらえると嬉しいです。付け加えると、専門領域のことを質問したら、喜んで話してくれると思いますよ!

私の特徴3)〜実際の困りごと〜

それでは、1)で見たような凸凹な知能発達の私が、実際どんなことに困っていたのか、ここでは大まかに書きたいと思います。

 

■実際に私が困ったこと~不適切な言動、ケアレスミス等~

・他人の気持ちが理解できず、思ったことを率直に言うため反感を買い、様々なトラブルを引き起こす

・集中し過ぎる傾向にあり、いったん何かに没頭すると近寄りがたい様子になるため、周囲からも接触してもらいにくい

ケアレスミスや忘れ物を何度も繰り返し、職場での信頼が低下する

・学業面では優秀だったため、学歴を知っている人からは「空気が読めない」「ケアレスミス」は意図的または怠慢のせいと断定され、相手からの積極的なアドバイスが期待できない

・他人の発言を「全て」真に受けるため、極端な難題や嘘にも全力で対応しようとし、周囲との摩擦を生じる(仕事で、顧客からの明らかに実現困難な要望など)

・「変化」全般に対応できず、パニック状態や強迫神経症睡眠障害など、精神/身体症状が出る
・自覚なく不適切な言動を繰り返してしまう、そんな自分に対する激しい自己嫌悪に苛まれる

・自己嫌悪の結果、自傷行為に奔る

・一日何度もフラッシュバック(過去の嫌な記憶が鮮烈に再現される)に襲われ、逃れるために叫んだり独り言を繰り返す

 

こうやって改めて書いてみると、苦しんでいた長い長い年月を思い出します。当時、といっても今までの人生の大半ですが、自己嫌悪や空回り、周囲との衝突で毎日ボロ雑巾のように疲れ切っていました。

 

周りの人は、何をやってもソツなく「常識」をわきまえ、自らを制御し、適切な言動をし続け、まるで彼らに誤りなど何一つないように見えました。その一方で、私は何をやっても(本当に、何をやっても!)彼らと同じようにはできないのです。

 

■コミュニケーションの訓練の場は、「日常生活」だった

私が社会人になったのは、まさにそんな問題を抱えた真っ最中のことでした。ただ、幸か不幸かそれまでの環境では問題が致命的と言えるほど顕在化していなかったため、私は何の対策もせず、あろうことか人間関係が最も重要になる職種、営業職に就くこととなったのです。

 

案の定、私は就職後すぐ次々と困難に見舞われました。おかげで、体重は半年で10kgs近く減り、抑うつ睡眠障害に悩まされ、ついには精神科に通うこととなりました。ただ、この時も、根本的な生きづらさの原因には医師からも言及がされませんでした。

 

精神的に追い詰められ、転職した知人も何人かいます。ただ、私がそうしなかったのは、「ここで辞めても、次の環境で同じ壁にぶち当たるはずだ。ここで克服する必要が、私にはある」と強く感じたからです。誰から指示されたわけではありませんが、確かに理にかなったことだと今では思います。

 

というのも、社会人になってから知能検査を受けたクリニックで、「ソーシャルスキルトレーニングを受けたい」と申し出たのですが、医師から「日常生活そのものが、トレーニングなんですよ」と言われたからです。つまり、ころころ環境を変えてトレーニングするよりも、一定した環境で、ある程度自分を知った人たち(「理解してくれる人たち」とは限りませんし、当面は苦痛を伴いますが)の中でコミュニケーションを訓練するほうが、私には負担は軽かったと思います。その意味で、転職しないという選択は私にとって正解でした。

 

もちろん、正解とは言っても、出口のないトンネルを毎日1mmずつ進むような、果てしない道のりでした。エネルギーの消耗も激しいですし、試行錯誤の中で却って反感を買うこともあります。従って、誰にとってもオススメできるやり方、とは言えません。精神的にどうにもならないくらい追い詰められる前に、一旦休む(休職・休学など)ことも場合によっては必要ではないかと思います。

 

 

私の特徴2)~アスペルガー症候群の診断基準と、「診断」への考え方、私の思い~

先のページで紹介した「診断基準」の日本語訳を、下記に紹介します。★の部分は、私自身によく当てはまるものです。

 

<ギルバーグらによるアスペルガー症候群の診断基準>※

1)社会的相互作用の重大な欠陥

・友達と相互にかかわる能力に欠ける★

・友達と相互にかかわろうとする意欲に欠ける★

・社会的シグナルの理解に欠ける★

・社会的・感情的に適切さを欠く行為★

 

2)興味・関心の狭さ

・ほかの活動を受けつけない★

固執を繰り返す★

・固定的で無目的な傾向

 

3)反復的なきまり

・自分に対して、生活上で★

・他人に対して★

 

4)話し言葉と言語の特質

・発達の遅れ

・表面的にはよく熟達した表出言語★

・形式的で、細かなことにこだわる言語表現

・韻律の奇妙さ、独特の声の調子

・表面的・暗示的な意味の取り違えなど理解の悪さ★

 

5)非言語コミュニケーションの問題

・身振りの使用が少ない

・身体言語(ボディランゲージ)のぎこちなさ/粗雑さ

・表情が乏しい★

・表現が適切でない★

・視線が奇妙、よそよそしい

 

6)運動の後に不器用さ

神経発達の検査成績が低い

 

■知能検査結果=「自分の仕様書」

こういった基準に該当する特性があり、しかも日常生活で大きな支障を抱えながら、それでも私は発達障害と「診断」されることにこだわりませんでした。それは、診断されたとしても、それが私の「人と同じことができない」問題の免罪符にはなり得ないと考えたこと。そして、診断されてもされなくても、私がこの問題を自力で解決しない限り、「人間の世界」で生きていくことは叶わないと痛切に感じたからです。

 

つまり、私にとって本当に必要だったのは、発達障害という「肩書き」ではなく、問題解決のツールとしての自分の「仕様書」でした。

 

そして、ある程度の問題が片付き、周囲の人とやっと協調し笑いあえるようになった時、診断されなくても生活上大変な困難を抱えているであろう「仲間」たちに、私の経験を伝えたいと考えるようになりました。

 

専門家でもない素人が、このように考えるのはおこがましいかもしれません。でも私は、素人の当事者だからこそ、伝えられることがあるのではないかと考えています。専門家の意見も、当事者の目を通してかみ砕いて理解すれば、より納得しやすい部分があるかもしれません。

 

■困難を抱える当事者の家族・周囲のために、何かできないか

また、もしできるなら、私と似たような困難を抱える人の家族や親しい方々に、このブログが本人とうまく付き合うためのヒントになればと考えています。それは、私自身、自分の抱える問題への対処法を知らなかったばかりに、両親や家族、友人らに大変な苦しみ・悲しみ・不愉快を与えてしまったためです。友人らは殆ど去ってしまいましたが、ようやく家族ともうまく付き合えるようになった今、当時のことを思うと申し訳なさでいっぱいになります。母や父を、何度も泣かせたことと思います。

 

様々なメディアで、いま発達障害のことが取り上げられています。本人がどんな困難を抱えているか、字面の上では知ることができます。しかし、まだ診断されていない人達、「単に性格が悪いだけ」と思われながら苦しみもがく人達の現状については、知らない方が多いのではないでしょうか。

 

もしその周囲の人達が、「もしかして」と思い、このブログをきっかけに「いま彼/彼女は薄情な対応をしたけど、もしかしたらこう感じているかも知れないな」「こうアドバイスしたらいいかも知れないな」と思って頂ければ、とてもうれしいです。少しですが、本人とのコミュニケーションがしやすくなるかも知れません。

 

また、私には自分自身の困りごとで、解決できていない問題がいくつもあります。もし解決方法をお持ちの方がいらっしゃれば、是非教えてください。そうやって、ノウハウの共有ができれば素晴らしいと思います。どうぞよろしくお願いします。

 

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2018/1/8再構成、「私の特徴1」からエントリー分割

2018/1/13一部加筆

※翻訳は右記から引用。司馬理英子(2015)「大人の発達障害<アスペルガー症候群ADHD>シーン別解決ブック」主婦の友社、p.36

私の特徴1)〜WAIS-Ⅲ結果について〜

ここまで幼少期のエピソードを見て来ましたが、ここからは私が実際に何に苦しんできたか、そしてそれにどう対応したかを書きたいと思います。

 

■知能検査「WAIS-III」を受けたきっかけ

知能検査「WAIS-III」を受けた、と書きましたが、これは知能の発達度合いを言語性IQ(VIQ)、動作性IQ(PIQ)、全検査IQ(FIQ)で割り出し、各IQの下位項目についても数値的に評価できるという検査です。臨床心理の現場で広く使われているそうです。VIQは単語や概念の理解など、PIQは状況変化への柔軟性などを見ます。私の場合、検査は2時間ほど掛かりました。

 

これを受けたきっかけは、仕事上の人間関係で破滅的なトラブルを起こし、周囲から立て続けに非難を受けたことでした。非難の理由は「思いやりがない」「失礼だ」というものでした。自分は真摯に対応しているつもりなのに…と混乱した私は、TVで見たことのある「発達障害」という言葉を思い出し、近所のクリニックを受診した結果、検査を受けることとなったのです。

 

後になって職場の先輩にこのことを打ち明けると、「非難されたからって、普通は検査を受けようと思わないよ」と笑われました。でも、私はとにかく、自分の言動が他人から見て不愉快なものになるその原因を突き止めたくて、仕方ありませんでした。

 

■WAIS-IIIの結果

前置きが長くなりましたが、私のWAIS-Ⅲの結果を再度確認します。

 

・VIQ(言語性IQ):131

・PIQ(動作性IQ):98

・FIQ(全検査IQ):118

・下位検査: 言語理解は138と極端に高い反面、知覚統合は98とかなり差がある。また、動作性検査では項目ごとのバラツキが大きく、特に絵画完成が低い。

 

VIQとPIQの差は33とかなり大きいですが※、実は発達障害と「診断」されてはいません。色々調べると、この知能検査だけでは診断はできないようで、実際に生育歴などを丹念に辿った分析が必要なようです。

 

ただ、私の場合は家族や親戚にも私と似た特徴の人が多く、親は大した問題と捉えていませんでした。従って、詳細なメモも存在せず、記憶に残ったいくつかのエピソードを参照するほかありません。また、医師からも親同席でのインタビューはありませんでした。そのため、診断に十分な材料がなかったとも言えます。

 

 それでも私が自分に発達障害の傾向があると考えるに至った理由は、実際に生活や仕事に非常に大きな支障があったこと、そして次のページに挙げる「アスペルガー症候群の診断基準」に当てはまることが多いためです。

 

 

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2018/1/7 一部加筆、修正

<脚注>

 ※認知障害の目安として、VIQとPIQの差を25〜30点程度とする説があります。ただし、点差だけによって認知障害を断定するのは適切ではないとのこと。(村上宣寛・村上千恵子(2008)「改定 臨床心理アセスメントハンドブック」北大路書房、p.96)